『アレグリアとは仕事はできない』津村記久子


アレグリアとは仕事はできない

アレグリアとは仕事はできない

いやあ今作も、原題の『コピー機が憎い!!』にまんまある通りの、一台の(きまぐれな)コピー/スキャン/プリンタ複合機へ向けられた「憎い」という悪感情からはるかに離れた着地で物語りは終わった。鮮やかと言っていい。
さすがの手腕。ブラボウ。
だいたい4〜5人の登場人物の思惑が絡み合ってピースを成し、ラストへ向けてゆっくり着実に繋がっていくという書き方は、津村さんのもはや独壇場かもと思う。読了後はそうか、こうやって終わるのか〜と感心しきり。
全編、ちょっとした日常の疎外感とか普通の人の持つ小さな悪意やはたまた善意のつもりの押しつけとか、言わば「小説的でない」出来事へ向けての眼差しが冴えている。

意志の疎通があらかじめ断絶された状況下での人々の営み」を巧みに書く。
津村記久子さんの書かんとしていることは一貫していると思う所以だ。

例えば、この話の中で人は死なないし作中人物が劇的な恋愛におぼれるわけでもない、起こるとしても事件という事件でなく。。。でも現実にしっかり在って、普通の感覚ではあまりの多さに麻痺して流してゆくようなことをこの作者はすくい取って、捨てない。すごいことだ。
そのノンフィクション的視点があって、ダイナミックなフィクションが活きるのだろう。
女性社員らの手を煩わす職場のダメコピー機が実は中国の工場から見つけてきたジャンクで、押し込んだ営業はそのピンハネで儲けて、それを知らずに仕方なく呼びつけるメンテの人間もモグリで、なんて、もんのすごいフィクションなのに、あり得なくない、つうか、あるかも。。。
と思わせられているのだからして。だから自分の職場にあるコピー機へ「おまえ、もしかしてジャンクか?」とかあらぬ疑いを掛けてしまいそうになったり。


「真面目にやってきたのに。文句とか、気をつけて言わなかったのに。あの機械のことでさえ。
 そりゃ本当は、どうしてあんなにすぐ止まるんだろうとか休むんだろうとか思ってた。
 でもそんなこと言ったって仕方ないし。それに順応しなければって。男の人たちはあれが便利だってべた褒めするし。
 わたしもそっち側に立たないとって思った」

主人公ミノベの職場の一年先輩であるトチノは本編ラストでこうミノベに言う。
「あの機械」「あれ」とはミノベが怒りをあらわにし続けてきたアレグリアのことを指す。
立ち現れてくるのは、機械と人との断絶。職場での男と女の断絶。そして勿論、女と女の断絶。。。
アレグリア最後通牒を突きつけたのはミノベでなく穏やかな仕事ぶりのトチノだった。そして彼女は、職場を無言で去っていく。
「わたしもそっち側に立たないと」という叫びが読むたびに痛切だ。なんだかこの文、コピー機のことだけを指してるんじゃない気さえするのだ

それでも私たちは働く。小さきことで心を殺されたりしながら別の小さきことで生き延びる余力を蓄えつつ。
虎視眈々とした眼で。微かでも、前を向いて。