笙野頼子 『おはよう、水晶―おやすみ、水晶』読了。

二百回忌〜タイムスリップ・コンビナート〜なにもしてない〜極楽〜母の発達〜レストレス・ドリーム

と読む、ここ最近だった。(順不同だし色々と読んでいない重要作があるけどこれから。
地元の図書館にはほぼ全作品あるので)
どれも好きだ。母の発達はほんとに面白い。
レストレス・ドリームの最後の1ページを穴が空くほど読んだ。暗記したくて。

今作も読んだのはいいけれどいつも思うのは作者の意図の1万分の1も理解してない読者かも、私は、という危惧だ。
それでも面白かった。と言わせてください。すいません。(精読も出来てないです誤読すらしてるかも)
今作は表紙が特にとても好きです。
装丁家ミルキィイソベさんはいつも凄い仕事ぶりだけど)眺めていてなかなか本編に入れない位、美しい。。。
ヒトトンボを包む水晶。思わず手で撫でてた。
「鎮魂」という言葉を具現したアートワークだ、と思って、まさに1時間眺めていられる絵画のよう。
哀しさのなかで心が静まる。ミルキィさんのデザイン本もあるのか〜
欲しいなあ。

◆図書館で借りたけどやはり本物が手元に欲しい!
 たくさんはっとする言葉があった。引用したい言葉がありすぎるほどある。が借りた本は誤植モノと今知った。*1うむ。第二刷を買う。
 23章 カテドラル・ライブラリーでの『(略)でも欲しがらない私から奪えるものなんてどこにもないよ。
 もともと、ゼロから始まった事。いくつかの版元と熱心な読者と内外の研究者は私を捨てない。
 他に?何か?私が文学だ。私の文学だ。』

 という箇所に思わず「くわっ格好いい。。。」と。
 あとは前後するけど15章 夢からの侵攻でのフェミニストからフェミニストって言われるとたまにむかつく。男から君はフェミニストじゃないと言われると
 よく腹立つのと同じ感じで。それは相手のフェミニズムと私のフェミニズムが違うからだ。人間ひとりひとりの見ている世界が違うのと同じに。』

 本当その通りだ。
 『十年近いボツの間ずっとセックスを書くことを期待されていた。』という一文にはすごく嫌な戦慄が走りました。
 そうだったのか。そうか。
 これに限らずもうなんか今作は「そうだったのか」の連発で胸が痛い。信じらんない出来事ばかりが、文士の身に起きる。理不尽。。。
 文藝の特集号での写真撮影のくだりには胸の痛くない「そうだったのか」がありました。
 当時東京の本屋で見かけたとき、立ち読みで済ませていたので。これを期に併せてアマゾン買いするか。ちなみに。真珠を身につけたお写真、すなおに「素敵」と思いました。 
 ◆なぜ笙野作品を読むのか。戦っているから、かと。それに尽きる。ただ読むしか出来ないけど、出来たらもっと勉強して精読したい。

おはよう、水晶―おやすみ、水晶

おはよう、水晶―おやすみ、水晶

文藝 2007年 11月号 [雑誌]

文藝 2007年 11月号 [雑誌]

ブックデザイン ミルキィ流

ブックデザイン ミルキィ流

 
 
 

*1:五十六億七千万年の転生を経て……。という重要な一文が漏れているとのこと